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Peach incident

2014年4月28日にピーチ・アビエーション(APJ/MM)の石垣発那覇行きMM252便(エアバスA320型機、登録番号JA802P)が、那覇空港沖で海面75メートルまで降下した問題で、国土交通省の運輸安全委員会(JTSB)は7月28日、報告書を公表しました。

機長と副操縦士による高度の確認や操縦に対する相互確認が不十分で、管制官も降下に気づいていなかったことなどを指摘。自動操縦時の計器による高度確認の徹底などを、再発防止策として求めた。

「報告書によると、2014年4月28日午前11時47分ごろ、石垣空港を午前10時52分に出発したMM252便の高度が、那覇空港の北約7キロ沖で102メートルまで下がり警報装置が作動。操縦していた機長(当時45)が、高度72メートルのところで機首上げをし、ゴーアラウンド(着陸復行)を実施した。管制官とのやり取りは副操縦士(同38)が担当していた。

那覇空港へは北側の滑走路(RWY18)を使用して着陸し、午後0時10分に到着した。乗客53人(幼児1人含む)と乗員6人にけがはなかった。JTSBは翌29日、事故につながりかねない「重大インシデント」に認定した。

機長の総飛行時間は当時約9400時間、A320の飛行時間は約665時間で、副操縦士は総飛行時間約5600時間、このうちA320は約1400時間だった。

一方、那覇空港の着陸誘導管制業務は訓練生1人を含む4人の管制官があたっていた。

パイロットへの聞き取りでは、那覇空港へ最終進入中は雲の中を飛行していたという。当該機には、強化型対地接近警報装置(EGPWS)が装備されていた。

重大インシデント発生時、当該機は最終進入中の機体に対して精測レーダー(PAR)を使い、垂直・水平方向の位置を知らせて誘導する進入方式「PAR進入」で那覇空港へ向けて降下していた。国交省航空局(JCAB)が管制業務を担う空港では、PAR進入は那覇空港のみで実施している。

機長はPAR進入は久しぶりで、A320では初めてだった。このため自習した上で乗務していたという。副操縦士は最終進入開始時、チェックリストの実施と管制官との交信で負荷が高い状況だった。この時に、機長が機体の昇降率を指定する「VSノブ」を引き、「VSモード」に切り替えたが、副操縦士へのコールアウト(口頭伝達)はなかった。

また、機長はVSノブで降下率を設定したことは覚えていたが、ノブを引いたことは覚えていなかった。

高度が下がり始めた際、機長はレーダー誘導に集中しており、機体の高度には注意を向けていなかった。

一方、副操縦士はチェックリストの実施を進め、高度はオートパイロット(自動操縦)で1000フィート(約305メートル)を維持していると思い込み、高度計は確認していなかった。
 
その後、チェックリストを実施し終えた副操縦士が、機体の高度が下がっていることに気づいて機長に警告。機長はVSノブを押して降下を止めた。ノブの操作時刻と同時に、EGPWSが警報を出していた。また、ほぼ同時に管制官から高度1000フィートを維持するよう指示が出ていた。

機長は水面への衝突を回避するため、ゴーアラウンドを実施したとみられる。

高度監視の注意力低下
報告書は「高度の維持をオートパイロットに委ねており、高度1000フィートという低高度を飛行していることへの警戒心が薄れていたことや、機体が意図せず降下することをまったく想定していなかったと考えられる」と指摘。

着陸準備に気を取られ、目視による高度計などの確認に注意が向かず、高度監視への注意力が低下していたとの見方を示した。

また、管制官側も当該機の降下に気づいていなかったとした。一方で、最終降下開始前の航空機が、指示なくレーダーの安全圏から逸脱することは想定していなかったとした。この点について、管制機が指示なく降下する可能性に対するリスク管理が不十分で、結果的に当該機が降下し続けたことにつながったとしている。

気象条件の影響にも言及。当日の午前11時30分から正午にかけて視程が悪化し、雲の量が増えて雲底も低くなっていたとして、機長と副操縦士が降下を認識するのが遅れた要因のひとつに、気象状況が影響したとの見方を示した。

ピーチでは重大インシデント発生を受け、オートパイロットの設定機器「FCU」の全操作時のコールアウト実施を規定化するなど、訓練体制や規定を見直した。

那覇空港事務所では、管制官が交信点検時に「Maintain 1000ft(高度1000フィートを維持)」を必ず指示するなど、管制機への指示内容を改めた。

『お粗末なパイロットもいるものだ』としかいいようがありません。

イギリスの航空当局が、ある重大インシデントを受けてAirlines各社と共同で計器のモニター方法の研究を行い、結果を 『Monitoring matters』 というドキュメントにまとめました。

その内容は、事故やインシデントを例にとり、その原因を元に、微に入り細に亘る計器クロスチェックの方法が記載されており、パイロットは必読とも言えるものです。

私は、このドキュメントを元にして会社内への情報提供を行いました。

その中に、『計器のみならず、五感を働かせてMonitoringしなさい』とあります。敢えて言えば第六感も必要です。『何かおかしい!」と感じることってあるのです。そう感じた時は、何か通常でない事が起こっています。

Speed brakeを格納していないとか、Flapが正規な位置でないとか!

ピーチ機の機長が、降下スイッチを操作した覚えが無いと言っているとのことですが、飛行機が降下に入れば、計器上でエンジン出力が下がり、エンジン音も小さくなるでしょう!ほんの僅かとは言え軽いマイナスGも感じるはずです。

現役時、お客として移動中は寝ている事が多いのですが、巡航から着陸のための降下に入るとGが変化に入るので、「もう降下か!トイレに行こう」と思ったものです(笑)

それも解らない程鈍感と言うことでしょう。副操縦士はチェックリストに没頭していたとありますが、よく言われる『一点集中』の典型で、パイロットは同時に複数の作業を確実に行えなければ失格であり副操縦士も同罪です。

怖い話

読書が好きですが、いわば乱読です。

Retired pilotが自慢話を書き連ねた本を出すのは珍しくありませんが、唖然とした自費出版の『自叙伝?』を(頂いたので)読みました。

セカンド・オフィサー(航空機関士)時代、機長の審査飛行(夜間便)に乗務した時、機が最終進入中、機長も副操縦士も異常な低高度を飛行していたのに気がつかなかったとのこと。

チェッカー(会社査察操縦士)は疲れ果てて、ジャンプ・シートでぐったりし、当のご本人だけが気がつき、『低い』と叫んだことにより査察操縦士が『上昇しろ』と指示し危うく墜落を逃れたそうです。
飛行終了後、チェッカーがセカンド・オフィサーに『今日の審査をどうしようか?』と相談したそうで、ご本人は『私の任ではない』と答えたそうです。
ご立派!!!としか言いようがありません(チェッカーが機関士に相談するなんて事があり得るとは到底考えられませんが)。

また、ある飛行の強風下での着陸時、当人(副操縦士)は機長がスラスト・リバーサーの操作を『誤った』と思い、『(機長の)手を叩いて操作をやめさせ(機が滑走路から逸脱するのを防いだ)』とのこと。

これらの話がもし本当だとしたら「この会社」は恐ろしい航空会社だったのですね。規則を全く守らないパイロットやCockpit内の指揮権は滅茶苦茶だったということです。

自分の判断をことさら自慢することにより、彼が乗務した便の機長(たのクルー)を二重三重に貶めている事に気がつかないのが辟易とします。

最後まで読む気がしなくなり、途中で放り投げてしまいました。

事故 - 八尾空港

昔から航空事故は続いて起きるとはよく言われています。ここのところ、小型機やGliderの事故が連続して発生しています。

八尾空港での墜落事故の防犯カメラに写っている映像には、Go around後『ホボ垂直』に落下する機体が不鮮明ではあるものの確認できていました。

墜落機はMooney M20Cとのこと。General aviationでの経験が1年半しかない私は当該機の操縦経験はありません。

Wikipediaによると概略の性能は:
• Max. takeoff weight: 3374 lb (1528 kg)
• Powerplant: 1 × Continental TSIO-550-G Turbo-normalized with twin turbo 6-cylinder, horizontally opposed piston engine, 280 hp (209 kW)
• Maximum speed: 242 knots (278 mph, 448 km/h)
• Cruise speed: 237 knots (272 mph, 438 km/h)
• Stall speed: 53 knots (61 mph, 98 km/h)

とあり、Cessna 172Sよりは重量で約1,000lbs大きく、従ってEngine も100HP大きな出力のEngineを搭載しています。丸めて言えばCessna172より一回り大きな機体ですね。

Stalling speedが53kt であるので、Approach speedは75kt 位と推測できます。この速度はCessna172とホボ同等です。

上記の映像を見た限りでは、失速して墜落したのではなくSpin のような状態で墜落したと想像できます。単なる失速ならホボ垂直には落下しません。

これ以降は単なる推測ですが、操縦士がYao towerにGo around を行うと通報するまでに異常は無かったようです。その後、何が起きたのか?

Go aroundは小型機も大型Jetも基本的な操縦方法は同じで、Full power(又はGo around power), Pitch up(機体の姿勢を上昇させる角度にセット)、Flaps up(Approach flapsへ), Gear upとなります。近代のJet旅客機はAuto pilot & auto throttleも多用されますが熟練PilotならManual controlでも何も不安全要素はありません。

小型機はManual controlしかなく、上記操作の中に幾つかのKey pointがあります。
・Full powerにすると、Propeller torqueにより飛行機は左方向へ偏向するので直進(且つ滑らせないため)するには相当な量のRight rudderへの踏み込みが絶対的に必要になります。
・Approach時にはかなりのUp trimになっているので(キチンとTrimされていると仮定)
 Go around時には(Full powerにより)大きなNose up momentが働き、Pilotがかなり『機首を押さえる』操作が必要です。機首を押さえないとGo aroundの機体姿勢(小型機は概ね12度位)より更に(機首が)高い角度になってしまいます→Speedが増えなく逆に減速してしまう。

これらの悪条件が重なる(=初心には普通に起きるのですが=操縦桿の押さえが足りずに
機体が大きな上昇姿勢となり、且つ、Right rudderを忘れることによる左方向への偏向)と
機は極めてSpin(旋転を伴う失速)に入り易い状況になります。

今回の事故は、(もしEngineが正常なら)Pilotの操縦に極めて大きな問題があったのでは
と考えてしまいます。

機長操縦士が右席で、Pilot訓練中の方が左席(機長席)という着座も(法的に問題はない
としても)??????となります。必然性が全く無い。

ほんの少し経験を積んだ事による慢心が原因だとしたら、余りにも痛ましい事故ではない
でしょうか。

声-2

世の中には偶然と言う神様がいるのでしょうか?

仙台空港でK君のATC communicationを聞いたことは前に書きました。

1月27日、やはり仙台空港でB350のTest flight 中、一旦Full stop し Another takeoff のため Runway 27 end
で離陸の許可を待っていました。

私たちの離陸の前に、航空大学訓練機とJAXXXXが着陸するので待機するようSendai towerから指示を受けました。

ナント!、JAXXXX はK君の操縦する計器飛行証明の実地試験機でした。航大機に続き、K君操縦の機が私たちの眼前を通過していき、私たちがその後離陸しました。

Test flightを終えて、同僚の教官と、『アイツ、King airに(多分)気がついていないよな!』と話していました。

国家試験なので、試験後の講評を終える時間を見計らってK君に電話し『気がついていたか?』と聞いたところ

『解っていました。計器に合格しました』と声も弾んでいました。

K君、おめでとう!!! 早く、一人前のAirline pilot になれよ。

Helicopter pilot の空間識失調

ホバリング中の事故ではありませんが、夜間・低視程・降水等が重なればベテラン・パイロットでも機の姿勢が解らなくなるようです。

日本では、Doctor's helicopterのPilotは最低2000時間の(ヘリ)飛行時間がいるそうです。ヘリコプターで2000時間飛ぶのは並大抵では・・・・!

The medical transport helicopter was on a night flight conducted under visual flight rules (VFR) to pick up a patient for transport.

The helicopter was registered to Rockford Memorial Hospital and operated by Air Methods Corporation.

The pilot had computer-based weather information available, but it is unknown what information he reviewed before deciding to accept the flight.

Weather observation stations along the route of flight were reporting VFR conditions around the time that the pilot accepted the flight.

About 17 minutes into the flight, the pilot reported to the receiving hospital’s communications center that he was aborting the mission due to encountering inclement weather and was returning to base.

Flight track data indicated that the helicopter initiated a right turn at this time, away from a nearby lighted windmill farm toward an area with sparse ground lighting . The flight track then showed a slight descent before the end of the data.

The last recorded position was about 0.75 miles east-southeast of the main wreckage site. The helicopter impacted an agricultural field in an inverted, nose-low attitude.

Examination of the wreckage revealed no evidence of mechanical malfunctions or failures that would have precluded normal operation. Weather data and reports from first responders indicated that the flight likely encountered areas of snow, freezing drizzle, and supercooled liquid water.

The lack of ground lighting combined with the precipitation encountered likely reduced the visibility and outside visual references available to the pilot resulting in spatial disorientation and subsequent loss of control.

The National Transportation Safety Board determines the probable cause(s) of this accident as follows: The inadvertent encounter with inclement weather, including snow, freezing rain, and reduced visibility conditions, which led to the pilot’s spatial disorientation and loss of aircraft control.

1月20日から、29日まで国立電子航法研究所(ENRI)が所有しているB350の修理改造検査に伴う業務で仙台空港に来ています。

20日、定期機便ではないJA・・・・のコールサインの飛行機が”仙台Groundと交信していました。仙台には航空大学校があるのでJA numberのCall sign機が交信しているのは特段珍しいことではないので余り気にしませんでした。

昨年夏、某大学の事業操縦士の訓練を担当したA教官が突然「Oldfogyさん、あれはK君の声では?」と言ったので、私もその後の交信を注意深く聴いていたら、

JA XXXX, cleared to Fukushima airport via・・・・・・・・・・, maintain 8000ft, squak 3434と管制クリアランスを貰いそれをRead backしたのは、紛れも無く某大学のK君の声でした。

今、事業用操縦士課程を修了し、プロパイロットになるために必要な計器級の訓練中なので仙台空港から福島空港へのIFR(計器飛行方式)での訓練飛行で、思わず、2人で『K頑張れ!』と声にでました。

『声を聞いたよ』とメールしたら、『来週、計器の試験です』と返事が返ってきました。

受け持った学生は何時までたっても心配の種であるし、資格を取って、早くエアラインで活躍して欲しいと思っています。

25、27日と合計6時間弱のB350の飛行を楽しみます!

1月11日

元総理のお孫さんと人気女優が、1月11日11時11分に結婚届けを提出したとTVで話題になっていました。特に理由は無いそうですが「1が好きとかゾロ目が良いとか」。

私もケースは違いますが面白い経験をしたことがあります。

飛行機と新幹線との利用客争いには原則があり、新幹線で概ね3時間以内なら新幹線が有利、3~4時間は互角の勝負。4時間を超えると飛行機が断然有利になります。新幹線網が整備されるにつれ、羽田-仙台や山形便が姿を消し、今や、小松・富山便が風前の灯です。

30年以上前でしょうか?私がB727-200(180人乗り)に乗務していた頃、東北新幹線が大宮-上野駅間が開通し東北地方への利便性が一挙に新幹線に有利になりました。

当時、B727はL1011に主役の座を奪われ、所謂、ローカル線を飛んでいました。その路線網のうち、「羽田 - 仙台 - 札幌」というのがありましたが、新幹線にお客様を奪われ、羽田-仙台は30人前後、仙台-千歳は2桁の半ばから後半という有様でした。搭乗率で言えば、30~50%。

ある日の『仙台-千歳便』が突然満席になりました。前便の羽田-仙台もかなりの乗客数で「どうしたんだろう?今日はお客様が多いね」とCrew一同訝かっていました。

しかも、マニアが多いらしくCrewのサイン(操縦席にも廻ってきました)を多くのお客様がほしがりました。あるCA(当時はCAとは呼ばす航空関係者は(Stewardessを略してデスと呼んでいました)がお客様に『今日は満席ですが、こんなことは近年無かった』と言ったところ謎が解けました。

その日は、『7月27日』で、機種は(既に退役が決まっていた)『B727』、便名が『727便』という訳で『727揃い』の最後の年だったのですね。同じ路線をB737も飛んでいましたが7月37日はありませんから!

当時のBoarding passは葉書を縦に半分にした位の幅で、長さは葉書よりも少し長かったでしょうか、Check inでパスを貰い、搭乗時に半分をもぎられ、残りを持って乗りました。その半券を集めていた方も多くいたようです。

しかし、Crew一同、まさに『唖然!』でしたし、マニアの方の執念のすさまじさを感じました。そういう発想に行き着くところが凄いですね!

またMRJ

残念なことにMRJのANAへの引渡しが1年以上遅れ2018年半ばになってしまいました。

三菱航空機技術部門のトップである岸副社長によると、報道で伝えられていたような主翼の強度不足ではなく、『3回の飛行試験で大きな問題は起きていないし、何らかのトラブルで日程を変更した訳でもない』とのことです。

強度で改善すべき点があり、現在、飛行試験機の主翼付け根部分や胴体部品の補強改修を行っていることは事実だが、この程度の改修は珍しいことではなく、1月中には飛行試験を再開すると説明し、ANAへのDelivery遅れの理由は、『50年振りの “民間機” 作成の知見が足りず想定が甘かった』と言うことだそうです。

遅れの理由を簡単に言えば、『FAAの型式証明を取るのには(現在のTime scheduleを大幅に延長しなければならない』と考えられ開発当初から懸念されていたことです。

森本浩通社長は『いろんなリスクを織り込んで日程を見直したが、旅客機開発には予見しづらい部分も多い。2018年半ばの納入開始を確約できるかというと、正直、断言は難しい』と、更に納期が遅れるリスクを否定しませんでした。つまり、一応、2018年半ばとは言ったものの『更に引渡しが遅れる可能性がある』と言っているに等しいと思います。

めでたい初飛行では、『予定通りに引き渡す』と発表しながらこの体たらく。恐らく、初飛行時には初号機の引渡しが遅れることは解っていたのでしょうが 『何時頃』と言えるまで詳細が決まっていなかったので「予定通り」と言わざるを得なかったのでしょう。姑息としか言いようがありませんネ。

一方、MRJ最大のライバル、エンブラエルE2の動きはどうでしょうか。機体の引渡し計画は次のようになっています。
   ● 2018年前半に97 ? 106 席の「190-E2」
   ● 2019年に118 ? 132 席の「195-E2」
   ● 2020年に80 ? 90 席の「175-E2」

計画が全て予定通りに進む保障はありませんが、E2は既存機の改造型であり、ゼロからの開発であるMRJよりは遥かに順調に計画が進むのではないでしょうか。

MRJが計画当初、ERJ(やCRJ)に比較し有利な点は
    引渡し次期が圧倒的に早い
    Engineが新型のGTF (Geared Turbo Fan) であり、競合多機種と比べて圧倒的に
燃費が優れているの2点にありました。

開発遅れでMRJの優位性は崩れ、上記2点は現在ではE2とホボ同等のレベルになっていると考えられます。また、近代旅客機に必須のRNAV装備やそれらの機体とのマッチングでは圧倒的にERJ-E2が有利でしょう。

BombardierもCRJ機にVNAVを導入した時は、FMCと機体のInterfaceがうまくいかず最終的にはFMCをUpgradeせざるを得なくなり Operator (私がいた会社)へのVNAV装備機の引渡しは1年遅れてしまいました。

Embraerは、現在世界最大のRegional jet機製造会社であり、世界中に張り巡らした顧客サービス網は、これからサービス網を構築するMitsubishiと比較し断然優位にあります。これらを考えると、MRJ販売はピンチに陥ったと判断するのが妥当でしょう。

Bombardier社がRegional jet機の開発をやめ、A320やB737と競合するCSiriesの開発に踏み切ったのは戦略的な誤りとしか考えられません。世界中の近代旅客機をホボ100%提供しているBoeingとAirbusに真っ向から挑戦する『その意気や良し』としても相手が悪すぎます。Bombardier社は航空機メーカーとして存続の岐路に立っていると思います。

本年も宜しくお願い致します。

横浜日記 (9) 「ある政治家の生涯」


1963年初頭、イギリス国内はあるスパイ事件が持ち上がり国を挙げての大騒動になりました。

当時、英国国防大臣 (Secretary of State for War)であったLord John Profumo(Lordは英国で使用され、英国以外ではBaronと称されます。つまり男爵)と一時愛人関係にあったのが高級娼婦であるChristine Keeler嬢でした。

愛人関係は1961年に始まりましたが、かの有名なイギリスMI5(イギリスの情報機関。ちなみに“007のJames Bond氏!”はMI6)の知るところとなり強制的に関係を終わらせられたのです。

その後、’62年にC. Keeler 嬢が暴力事件に巻き込まれプロヒューモ氏との関係がマスコミの知るところとなりましたが、英国マスコミの「政治家のPrivate lifeは書かない」の伝統が守られ明るみに出ることにはなりませんでした。

この問題を影で調べていた野党が Keeler 嬢と関係を持っていた男性にロンドン大使館付き駐在海軍武官がいることを知り、一挙に『第2次大戦後最大のスパイ事件(所謂、プロヒューモ事件)』となってしまいました。
つまり、『Keeler 嬢を通して『イギリス国防秘密がソ連に漏れていたのではないか?』と言うことです。

スパイ 事件そのものは結局無かったのですが、当初プロヒュウーモ氏が議会でキーラー嬢との関係について『無かった』と虚偽の証言し関係を認めませんでした。

卿はその後、『議会で嘘の証言をした』ことを理由に国防大臣はもとより政治家としての生涯を終えることになりました。卿48歳の出来事です。この事件が原因となりマクミラン保守党は政権を労働党に明け渡しウイルソン政権が発足します。

プロヒューモ氏は2006年3月7日、91歳の生涯を閉じました。

氏は政界引退後ロンドン・イースト・エンドの難民センターで皿洗い・トイレ掃除から始め、卿の貴族としての豊富な人脈を元に無償の社会奉仕活動を一涯続け、1975年名誉が回復され、CBE(名誉英国勲章第3位)を授けられました。

元英国首相マーガレット・サッチヤーさんの女王主催の誕生日パーティに卿を招待し、彼女の隣席に座る栄誉で卿の生き方を讃え彼の生涯の努力に応えました。

彼の死去に際して、当時のブレア首相は『彼はかつて大きな過ちを犯した。しかし、償って余りある功績を残した。もう許されるべきだ。」とのコメントを発表しました。

卿の妻は美人で有名な女優でしたが、彼女もその生涯を奉仕活動に捧げたそうです。ここに英国貴族の『ノブレス・オブリージェ(Noblesse oblige)』の典型を見た気がします。

(おまけ)
サッチャーさん(Margaret Thatcher, Baroness)には大きな思い出があります。

彼女が首相を退いた後のある時期に日本へ講演旅行にいらっしゃいました。サッチャーさんが搭乗されたのがANA201 (LHR – NRT) 便です。機長は私!ロンドン到着時のゲートに旅客係員が来て、『Captainの帰り便にはサッチャーさんが搭乗されます』と事前のInformation をくれました。

応対に失礼があればANAの名誉に係るので、現地OFFの翌日、日本大使館に伺い 『もし機内で搭乗お礼の御挨拶に伺うとしたら、どう呼びかければ良いのか』と尋ねました。『彼女は貴族に列せられているので、 “Lady” を使うのが良いでしょう』と教わりました。
 
搭乗当日、偶然か/ANAが意図してそうしたのかは解りませんがFirst classは、サッチャーさん、女性秘書、男性ボディイ・ガードの3人だけでした。

他のお客様もいないので離陸2時間後の最初のRest timeに挨拶に伺いました。

昨夜寝ないで?考え、何回も練習して記憶したご挨拶をかなり上手く喋る事ができたと思っています。彼女は、演説の原稿でしょうか、書類に盛んに書き込みを入れていらっしゃったので、

"Excuse me, Lady Thatcher, I am a commander of this flight, may I disturb you for very short time? で始まり、On behalf of whole entire crew member and employees of ANA, we are very proud of your boarding to ANA 以下云々~" のような感じです。

最後に『「十分にお寛ぎ頂ける様願っています』で締めくくりましたが、その返答に圧倒されました!

“Thank you Captain, yes I shall!” でした。”I shall” と言われた時に英語(イギリス語!)だ~!と感動しました。そして元首相から握手を受け、失礼にならない程度の力で握手をお返ししましたが、年齢を全く感じさせないマシュマロのような「柔らかない」手で驚いた覚えがあります。

 サッチャーさんは、功罪の評価が極端に分かれる宰相で、アルゼンチンがフォークランド島に侵入して始まったフォークランド戦争を『人命に変えてでも、我が英国領土を守らなければならない』と演説し即時に陸空海軍を派

遣し勝利に導いたこと(この時、兵士を輸送した船は政府にチャーターされたQueen Elizabeth)、またイギリス経済を未曽有の繁栄に導いた反面、弱者には厳しい政策でした。断固たる信念が「鉄の女」と呼ばれた所以です。

サッチャーさんの演説集からの抜粋です:

“Where there is discord, may we bring harmony.Where there is error, may we bring faith. And where there is despair, may we bring hope.

(discord:不協和、 harmony の反意語。 despair: 絶望)。

横浜日記 (7) 消えゆく伝統・船大工(2008.11)

横浜日記は、Pilotの定年を迎え、地上のスタッフとして仙台から東京の本社に転勤後、仙台に居る若い人たちに送った日記風の書き物です。整理していましたが、私のとって捨てがたい「横浜日記」に転載してみました。

横浜日記:7

 落語に必要なキャラクターは『長屋の大家さんに・(店子の)大工の熊さん・そして口うるさいオカミサン』ですよね。大工にも色々あります。家を作る大工さん。神社仏閣を作るのは宮大工。船を造るのが船大工です。家庭

用品や作業道具を売っている大きなホームセンターに「ダイクマ」ってありますが、「大工の熊さん」から取ったと聞いたことがありますが、真偽の程はわかりません(注:ダイクマは吸収され現在はありません)。

 私のカミさんのお父さん(マ、義父ですな!)は船大工でした(お義兄さんも)。千葉県の館山で小さな漁船から外洋に出る大型の漁船を作っていました。船大工が作る船は木造船です。しかし、今は漁船も含めすべてプラ

スチックになってしまい船大工は消えてしまいました。お兄さんは仕方なく転職し蒲田の近くで中華屋の主人でした。義父は仕事中に上から人が(足を滑らせて)落ちてきて大怪我を負いそれがもとでカミさんが中学生の時に亡くなり、私は会ったことがありません。
 
 先日、AERAを読んでいて、『船大工が消えていく=最後の“木造”掃海艇進水』という記事が目にとまりました。「掃海艇」とは海中に仕掛けられた機雷(=船が近くを通過すると船の“磁気”を感知し爆発する。

簡単に言うと海中の“極端にデカイ”地雷かな)を取り除く=つまり海の掃除 “掃海”=ことを任務とする船です。
1990年にイラクがクウートに侵入したことにより始まった湾岸戦争では、アメリカから協力を求められた橋本内閣

は“米軍の物資輸送のための船の派遣”や「国連協力法」を提出しましたが、船の派遣は海員組合の反対,
国連協力法は自民党左派と野党の反対で廃案になり有効な手立てが打てませんでした。

最後に日本人1人当たり(赤ん坊も含めてですよ!)約1万円(合計1兆2千億円)の臨時増税をしてアメリカに戦費を渡し『貢献』しました。この時、多数の日本人が「人間の盾」としてイラクに抑留されました。邦人救援機を、

やはりN社乗員組合の反対で出せない日本を助けるためトルコ航空が救援機を派遣してくれました。私は「ジャンボを貸してくれれば何時でも行く」と弊社重役に言ったのですが「笑われた」だけ。私はトルコ航空並びに救援機の乗員一同には生涯感謝の念を無くすことはありません。

しかし、『金だけだして血を流さない日本』と非難を浴びたため、湾岸戦争終了後、政府はイラクがペルシャ湾に敷設した機雷を除去するため、海上自衛隊の掃海部隊(旗艦・掃海艇4隻・補給艦1隻の合計6隻。指揮官落合タオサ1等海佐以下510名)を派遣しました。

掃海艇は港湾の近くや・沿岸での掃海が目的であり、遠洋を長期間航海するようには作られてはいません。総トン数500トン位の軍艦としてはチッポケな船です。
  
4月26日に横須賀を出港し途中、補給のため5箇所に寄港し5月27日、1か月かけて目的地に入港しました。延々7000マイル(1万3千キロ)の行程は困難を極めたそうです。海中に沈められている機雷は、艦船の磁気に感応し爆発するため「鉄」で作ってはいけないのです。掃海作業中自分が爆発してしまいます。世界の掃海艇は全てプラスチック製ですが日本だけは現在でも木造です。
  
「たかしま」と命名された最後の木造掃海艇を作ったのがユニバーサル造船(旧日立造船)の船大工達です。昨年5月の起工以来約60人(70歳台を含め平均年齢55歳)がカンナ・ノコギリ・ノミだけで作りあげました。木からノコギリで板にし、それを曲げ、張り合わせて船をつくるそうです。

釘を殆ど使わないとか・水が1滴も浸みこまないようにするには大変な技術がいるとのこと。船大工の棟梁(会社では作業長と呼ばれていますがカッコ悪い!やはり“親方”や“棟梁”でなけりゃ!!!)が起工にあたり皆に「俺たち最後の船だ。カッコ良く・バッチリきめよう」と言ったそうです。

大型の木造船(ヨットも木造船ですが大きさが全く違います)を作れる技術は世界でもユニバーサル造船所にしかなく、この『たかしま』は日本最後の木造掃海艇であるとともに世界最後の大型木造船となりました。

日本の伝統技術がまた1つ姿を消して行きます。金融危機が叫ばれ、投機による金儲けより物作りが叫ばれていますが、とても “寂しいし・悲しい” と思いました。船大工の道具は材木の大きさや作り上げる形体=曲線が多い=に合わせてノコギリ・ノミ・カンナ等何十種類も持っていなくてはならず、妻も家にあった “お父さんの道具箱” が懐かしいと言っています。

 ペルシャ湾に派遣された海上自衛隊掃海部隊の指揮官・落合1等海佐は、大東亜戦争(所謂太平洋戦争)で最後の地上戦となり人類史上まれに見る悲惨な戦闘となった沖縄地上戦(日本軍13万人・アメリカ軍総兵力55

万人、うち上陸部隊18万人が戦った。戦死行方不明合わせて日本側=“9万人の住民を含め”19万人。米軍側=1万3千人)での海軍部隊司令官大田中将の3男です。大田中将は海軍地上部隊(米軍でいう海兵隊です)

最後の出撃の前、海軍省あてに『・・・・・(略)沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別の御高配ヲ賜ランコトヲ願ウ」という有名な電報を打ちその後自決しました。連合軍は、上陸前2000機の航空機と艦船からの徹底した砲爆撃の後1945年4月1日沖縄に上陸。戦闘は2か月半にわたり続きました(上の死者の数はたった2か月ですよ!)。

 アメリカが日本に対して原爆使用の決定をした理由の1つに、沖縄地上戦での膨大な死傷者(米軍の日本軍に対する評価は「日本軍歩兵部隊の戦は、歩兵戦の鑑」であったというものです)を考えれば、次に予定されて

いる、日本本土での地上戦に移れば連合軍側死傷者は100万人に達するとの予測から、本土上陸をせず日本を降伏させるため使ったとも言われています。それでも原爆の使用は人類に対する国家犯罪だと思っています。

もし、当時の日本陸軍が考えていた「本土決戦」が行われていたら、私たちの祖父・親・兄弟の悲惨さは言語を絶するものとなっていたでしょう。北海道にはソ連軍が上陸し、北海道は「北日本」となり今の日本は確実に無かったかもしれません。

朝鮮半島の現在を見れば容易に推測可能です。本土の盾となった沖縄の人達に私たちは今何を報いているでしょうか?沖縄は日本で一番失業率と自殺率が高い県なのです。

これから後は、今日の追加です。

しかし、普天間を閉鎖・移設は早急に行われなければならないと考えています。普天間を実際にみれば直ぐに解ることです。左派が、反対しているのは『反対のための反対』でしょう。

しかし、本州でも基地を受け入れましょう。厚木にオスプレイ配備、大賛成です。

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